科学的ってどんなものでしょうか?答えはよく分かりませんが、わたしは「科学的」というのは手続きの問題だと思っています。

要は、「他の人でも同じようにできる」とか「そのような手順を明らかにする」とかといったところでしょうか?

 

よく「この石鹸は科学的に作られている」からダメで、「この石鹸は自然に作られている」から良いという言い方をする方がいますが。わたしの感覚では科学的に作られた石鹸というのは、誰が作っても同じように作れるような手順で作ってあり、また、1個づつのバラツキなどもコントロールしているもの、という意味です。

一方、自然に作られたというものは、そのへんから拾ってきたもの?、という意味かな、と思います。まぁ、いい意味でとって、個人個人が好きに作ったものという意味でしょうか^^;;

 

あ、たぶん実際の発言者は、石油とか、薬品とか、そういうのが「科学的」なもので、そういう「悪い」ものを使っていない、程度のニュアンスで使ってるんでしょうけど。

 

さて、科学に対するイメージはともかく、「科学的」な基準の一つに、「反証可能性」というのがあります。わたしの最も好きな哲学者の一人カール・ポパーの提唱したものです(残りはソクラテスととウィトゲンシュタイン)

この反証可能性というのは、ある理論についてはそれが合致する証拠をいくら重ねても理論が正しいことは示せず、それと一致しない証拠があることで誤っていることを示せるのみである、ということ。そして、そのような反証が可能でない理論は、科学的ではないというものです。

 

ビリヤードにおいては、「キューは顔の中心におく」というテーゼについては、**プロも**プロも「顔の中心にある」ということをいくら重ねても意味なく、「**プロは顔の中心にない」という反例のみが意味を持つということですよね。

 

でも、スポーツなので、フォームやストロークは、このような反例はいっぱいあります。では、反例に意味はあるんでしょうか?

 

一方で、「**という人がいる」というを論拠にする人もいます。まぁ、反例に意味がないとしたらこうなりますよね?

 

「キューは利き目の下になければならない」、なぜなら**プロも**プロもそうだから。

 

あ、長くなってきたので続きます:->